らいたーずのーと2

旅行、自転車、現代美術、食、歴史、文学、哲学など雑多に綴る。

令和元年12月 京都旅行記 第二日「念仏寺、仁和寺、金閣寺、下鴨神社」

 

京都旅行記もいよいよ最終日。

本日は仁和寺、金閣寺といった有名所を押さえていく日。

名残惜しいが、最後の最後まで全力で楽しもう。

 

 

1.愛宕念仏寺、化野念仏寺

最終日の最初の目的地は、市内北西部に位置する2つの念仏寺、「愛宕(おたぎ)念仏寺」と「化野(あだしの)念仏寺」である。

旅館近くのバス停からバスに乗り、「愛宕寺前」で下車し、その後は徒歩で巡った。

 

愛宕念仏寺は別名「千二百羅漢の寺」と称される。歴史は古く8世紀にまで遡るが、この寺の特徴はその歴史の古さでもその当時から残る遺構でもない。

荒れに荒れたこの寺を復興させるべく、呼びかけられて始まった素人参拝客たちによる「羅漢彫り」。1981年から10年間で、実に1,200体もの羅漢像が彫り上げられた。

 

しかし、羅漢と言いつつ、その内実は様々。赤子を抱いたもの、猫を抱いたものはまだしも、ギターを抱いたもの、バットを手にするもの、リーゼント(!)、モアイ(!?)・・・個性豊か、という言葉では片付けられないほどにフリーダム。なんか両手を広げてお金を欲しがるような仕草を見せる生臭坊主までいて、こんなものを許す寺院側の度量の大きさを思い知る。

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しかし、ある意味でこれこそが、民衆と交わる寺院のあるべき姿なのかもしれない。

高尚な思想、作法、流儀にもとらわれることなく、人びとがその手で思いを込めてそれぞれの「羅漢」を掘り、それがまた後に来る人を楽しませ、笑わせ、小さな幸せを与える。

 

信仰というものの新しい姿を垣間見ることのできるこの愛宕念仏寺。

あまりメジャーではないのかもしれないが、ぜひおススメしたいスポットである。

 

 

愛宕念仏寺を後にして、そのまま徒歩で山を下る。バス停1つ分下れば、もう1つの念仏寺、化野念仏寺に辿り着く。

 

ユーモアに溢れていた愛宕念仏寺と違って、こっちはややシリアスな世界。

平安時代以来の墓地で、化野に散在していた無縁仏の数々を掘り起こし、境内に約8,000体の石仏・石塔が建てられたというこの寺院には、常に静けさと厳粛さに満ちていた。

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愛宕念仏寺、化野念仏寺。

それぞれ、方向性は違いながらも、共通しているのは一般の名もなき人びとの強く切実なる「思い」。

その思いを噛み締めながら時を過ごし、やがて最終日最大の目的地へと向かっていく。

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2.仁和寺

化野念仏寺から歩いて嵐山電鉄嵐山駅へ。

駅から改札を通らずにちょうど来ていた車両に飛び込む。全線統一料金で、降りたところの改札で支払う仕組みらしい。

四条大宮駅の電車を帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅で北野白梅町行きに乗り換えて、御室仁和寺駅へ。降りれば目の前にはすぐ、仁和寺の正門が待ち構えている。

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仁和寺と言えば仁和寺なる法師・・・で始まる徒然草の一節がすぐ思い浮かぶ。しかしよく考えればあれは石清水八幡宮に参る(参らない)話であり、直接の関係はない。むしろ仁和寺の評判を下げかねない一節で・・・と思っていたが、全く知らなかったこの仁和寺、実に回りがいのあるスポットだった。

 

ちょうど、観音堂の特別公開の最終日だった。6年に及んだ保存修理事業が昨年に完了し、それを記念して今日まで、普段は一般公開されない観音堂の中身が公開されたというのだ。

お堂の中には迫力ある千手観音像、二十八部衆立像、風神雷神像など・・・

風神の指が四本しかないのは東西南北の空間の支配を意味し、雷神の指が三本しかないのは過去現在未来の時間の支配を意味するとか初めて聞いた内容だった。

 

そして、この立像群の裏側には江戸時代に描かれたそのままの壁画が。こちらは一切手を加えていないというが、時代を感じさせない鮮やかな配色で、天道人道修羅畜生餓鬼地獄の六道を表現した迫力ある壁画など、あの時代の人びとの情念を身近に感じ取れるような、そんな思いを抱くことができた。

そして、この特別公開に合わせて販売されているという、千手観音の描かれた箱に入った限定のお香を購入。

ちょうど真言宗ということもあり、この秋に仏門に入った父への、ちょうど良い御土産となった。

 

 

仁和寺は他にも見るべきところは多数あった。冬に咲く桜、五重の塔、御殿の庭に敷き詰められた散り紅葉など・・・。

 

御殿にはほかにも襖絵や厳かな霊明殿、そして五重塔南方に位置する霊宝館には、国宝・重要文化財の阿弥陀如来及び多聞天・吉祥天らの像、さらには織田信長の朱印状などもあり、これらの見所全てを回っているうちに平気で1時間半から2時間ほどを消化してしまった。

 

本当は仁和寺はさらっと見て回るつもりで、このあとは龍安寺と金閣を回る予定だったが・・・

 

時間がなくなりつつあるため、予定を変更し、今回は龍安寺を諦めることにした。

 

 

3.昼食と金閣寺

仁和寺を後にして、最終日の昼食に選んだのは仁和寺から徒歩5分のところにあるフランス家庭料理「ブラッスリーせき」。

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元々は近くの蕎麦屋に入ろうと思っていたが、そこが残念ながらお休みしており、「肉を食べたい」という自分の希望に応える形でこちらに。

ランチにしては高いが、その分味は文句なし。

おそらく夫婦が経営するこじんまりとしたお店で、夜は完全予約制だが、ランチはこのクオリティならむしろ安いと感じさせるほど。

カリフラワーのポタージュや牛フィレステーキを頂いた。

 

車を運転しない今回の旅行は、昼から酒を飲める数少ないチャンス。

にも関わらず1日目も2日目も酒と共に食べる風なランチではなかったので、この日は遠慮なくグラスワインを。

やはり昼間の酒は至高である。

 

 

少し豪華な昼食を終え、いよいよ3日間の旅もクライマックス。

京都観光の定番、金閣寺へと向かう。

 

修学旅行のときも来ていたはずだが正直よく覚えていない。だが、当時は「銀閣の方が渋くて分かってる人はわかる魅力さ」とやや中2病が入っていたが、あえて今、金閣を見るとその凄さがよく分かる。

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金ピカの寺という、それだけみれば成金趣味の・・と思わなくもないデザインだが、実際に現地で見ると、その周辺の風景の雄大さに恐れ入る。

池も、庭も、すべて、銀閣の数段上をいく規模であり、その雄大さの中に置かれているからこそ、この絢爛なる寺院も見事に溶け込んでいるのだ。

人智の限りを尽くした建造物や造園が、自然の中にいとも簡単に飲み込まれる様。

金をかけた先だからこそ見える自然礼賛の境地を、生で見たこの「金閣寺」で発見した。

さすが室町最強の将軍。

 

 

ただ、金閣寺は金閣こそ凄いものの、それ以外は(もちろん庭園も素晴らしいものの)長居するほどのものは多くなかった。

観光客がやはり多すぎたというのもあるかもしれないが、ここまでの寺院たちと比べると割合早々と抜けてしまった。

 

さりとて、見るべきものが多いであろう龍安寺に行くほどの時間もない。

最後の訪問地は、駅へと向かう途上にある下鴨神社にすることに決めた。

 

 

4.下鴨神社

今回の旅の14番目の訪問地にして最後の訪問地は、Twitterでも紅葉シーズンのオススメスポットとして紹介された下鴨神社。

正式名称は賀茂御祖(かもみおや)神社であるが、鴨川の下流に位置するためこの名で呼ばれるのが通例となっている。

今回の旅では寺参りが主だったため、最後の最後で神社に参るというのはまた新鮮な感じがした。

真っ赤に染まった紅葉と、紅の鳥居とのコンビネーションは実に印象的だ。

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最後は紅葉の残る下鴨神社の参道「糺の森」を抜けながら帰路へ。

アクセサリーや小物を売る露店が立ち並んでいる通りも、16時を回り皆、店仕舞いの雰囲気。

その感じがどこか寂しく映りながらも、3日間の旅の終幕を彩るうえではぴったりだったかもしれない。

 

 

かくして、旅の終わり。

この3日間は、事前に危惧していた混雑にほとんど出会うことのない奇跡のような3日間だった。

やはり紅葉シーズンはほぼ終わりかけ、かといって冬のライトアップなどもまだ始まらないという中途半端な時期だったことが功を奏した。

最高の状態の紅葉には出会えなかっただろうが、それでも十分に美しかったし、それで大混雑を避けられるのであれば儲けものである。

混雑が嫌いな人にとっては、この時期は、穴場と言える時期かもしれない。

 

はてさて、次の旅はどこへ向かうか。

静岡の三保の松原、島根の石見銀山、あるいは九州など・・・行ったことない名勝・土地をめぐってみたい。

 

令和元年12月 京都旅行記 第二日「宝厳院・天龍寺・厭離庵・保津川遊船」

 

前回に引き続き、京都旅行記の二日目を書いていく。

今日のメーンイベントは保津川の川下りと夜のトロッコ電車。

しかし今日も、当初は予定していなかった「穴場」が実に美しかった。

 

 

1.宝厳院、天龍寺、弘源寺

まず、朝7時に朝食を取ったあと、朝9時の開門に合わせ、旅館のすぐ目の前にある宝厳院へ。

室町時代の禅僧・策彦周良禅師によって作庭された回遊式山水庭園「獅子吼(ししく)の庭」は、嵐山の風景を借景しているという。

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こちらも散り紅葉の美しい絶妙な風景。

 

その後は後醍醐天皇および足利尊氏ゆかりの禅寺「天龍寺」およびその別院塔頭「弘源寺」に。

後醍醐天皇を讃える言葉が書きつけられていたうえで尊氏の像も祀られていて、これはどういうことかと訝しんだが、何でも、当時武家からも強い尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石が後醍醐天皇の崩御に際し、その菩提を弔うよう尊氏に強く勧めたのが始まりだという。

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弘源寺では秋の特別拝観を開催中(12/9まで)。色とりどりの色彩で果物や野菜、動物などを描いた扇絵や、縁側から見える枯山水庭園、そして柱に残る長州志士の刀傷などが見所となっていた。

 

 

天龍寺を離れると、京都府道29号を北上していくうちに、右手に「りらっくま茶房」なる店が・・・。

2年前にオープンしたというが、なかなかのインパクトある店構えである。

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「キイロイトリのハニーホイップコーヒー(Hot)」(上記4枚目)を飲んで温まりながら、次の目的地へと向かう。

 

 

2.昼食と保津川下り

午後のメーンイベントは、亀岡まで行っての「保津川の川下り」。

だが亀岡行きの電車までまだ時間があったため、JR嵯峨嵐山駅周辺で昼食を取ることに。

 

見つけたのは、元は銭湯だったものをカフェにしたという「嵯峨野湯」。

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店内の雰囲気も落ち着いていてお洒落で、言われないと銭湯だったなんてまったく気がつけない。

レジ台に「Bantou」と名付けられていたり、2Fに上がる階段がかなり急なところにそれをわずかに感じさせるくらいか・・・。

 

この店の看板メニューは、特殊な食べ方をするらしい豆腐パスタなるもののようだが、それではなく蓮根のたっぷり入ったボロネーゼ(上記6枚目)と、もう1つの看板メニューであった嵐山に見立てた形のチーズカレー(上記5枚目)を頼んだ。

とくにカレーの方は普通に美味しくて、チーズはもちろん、しっかりと入っているビーフも存在感を放っていた。結構辛かったし。

 

 

昼食を終えたあと、JR山陰本線に乗って亀岡駅へ。

そこから木津川下りの乗り場へと向かうのだが、駅前には2020年オープン予定の「京都スタジアム」の建設が着々と進む光景が!

周囲に何もないがらんとした風景の中に、住人不在の巨大なスタジアムと、その周辺に広がる人気のない工事現場とが、なんとも言えない雰囲気を醸し出していた。

 

そして木津川下りへ。

11月のハイシーズン期には2時間待ちなどもあり得るというこの人気のアクティビティ。

今回はまったく待ち時間なく、問題なしで直後の便に乗ることができた。

さすが、シーズンをややずらした甲斐があった。紅葉は完璧ではないものの、その分かなり快適な旅を楽しめている。

 

船旅は周辺の美しい景色と急流区間のスリリングな体験もさることながら、個性的な船頭さんたちによる掛け合いや解説も楽しめる、一大アミューズメントとなっている。

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終着点が近づくとどこからともなくやってくる物売りの船に横付けされ、温かいおでんだとかみたらし団子だとかを売りつけられるという事態に(下記5枚目・6枚目)。

すでに酒もつまみも十分に買い込んで、これを楽しみながら下っていた我々も、つい買わざるをえなかったね、これは。

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あと面白かったのが、崖に住まう猿の大群。真っ赤な顔をした小さな猿たちが群れをなして、船が近づくと鳴きながら逃げ去っていく姿は愛らしかった。

 

シーズンにより見られる風景も何も変わってくるだろうが、次はビールの美味しい夏の季節にやってきてみたい。

 

 

3.厭離庵とトロッコ列車

亀岡から嵐山まで川下りを楽しんだあと、予約してあるトロッコ列車の時間まで間があったため、市内西北部に位置する厭離庵へ。

小倉百人一首の撰者・藤原定家の山荘跡と伝えられており、江戸時代初期に定家の子孫が臨済宗天龍寺派の寺院として開山した。

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現在は晩秋のごく一部の期間のみ一般公開しているらしく、最終日の閉館ギリギリの16時直前に滑り込むようにして入り込めた。

全体的にこじんまりとしていて派手な展示物などは何もないが、1日目の圓光寺同様、散り紅葉の美しい満足度の高いスポットだった。

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この秘境を堪能したのち、竹林を潜り抜けながら徒歩で南下してトロッコ嵯峨嵐山駅へ。

ここから今日のメーンイベントの2つ目、トロッコ列車の旅へ向かう。

 

 

嵯峨野トロッコ列車はJR山陰線の複線化によって使われなくなった路線を走り、トロッコ嵯峨嵐山駅からトロッコ亀岡駅までを走る。途中、トロッコ嵐山駅と珍しい「陸橋の上の駅」トロッコ保津川駅を通過する。

昼の時間であれば木津川と渓谷の美しい風景を眺められ、木津川下りの乗客たちと手を振り合うなんてこともできるのだが(実際に我々が下っていたときには、通過したトロッコ列車の乗客たちから手を振られた)、さすがに人気が高く、日中の予約席はすべて完売。

紅葉ライトアップを楽しめる夜の部しか空いていなかった。

 

紅葉ライトアップは十分に美しかったが、写真で撮るのはなかなか難しく。

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行きはトロッコ列車、帰りは木津川下りというのも定番ルートのようなので、夏にでもリベンジした際はなんとか昼の部のものに乗ってみたい。

その場合、どれくらい前から予約するべきか、検討もつかないけれど・・・。

 

 

トロッコ列車に乗って、帰りはJRで帰ってきてすっかりと夜に閉ざされた嵐山の街並み。

旅館に帰ってきて、おそめの夕食に取り掛かる。

 

 

4.夕食

今回の旅は嵐山「らんざん」に連泊だったため、2日目の夕食もここで。

魚メインだった昨日と違い、今日は牛すき焼き鍋や天ぷらなど、なんか昨日より豪華な気がする。

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とくに穴子の天ぷら(上記8枚目)は、これまで食べた穴子の中で最も美味しかったんじゃないかと思うくらいに絶品だった。

天ぷらと言っても、鼈甲飴によって漬け込まれていて、サクサクとした食感ではなくしんなりとしたもの。

それがまた、味がしっかりと穴子の身に染み込む結果となっており、一口一口に穴子の淡白な味わいと、鼈甲飴の旨味甘味とがバランスよく入り混じり、この上ない幸せを感じさせたのである。

 

相変わらずご飯と漬物もクオリティが高く、量も多すぎなく丁度良いため、二日目の夕食も非常に満足のいくものとなった。

 

 

朝から晩まで散策・食べ歩き・アクティビティと幅広く全力で遊び尽くした二日目。

そしてあっという間に最終日。名残惜しいが、まだまだ見たいものは多く、三日目も全力で楽しんでいく。

 

令和元年12月 京都旅行記 第一日「京都御苑・銀閣寺・圓光寺・嵐山」

 

12/6(金)〜12/8(日)の2泊3日で京都に旅行してきた記録をメモしていく。

紅葉のピークを少しずらしたことが功を奏し、覚悟していた人混みはほぼなく、落ち着いて回ることができた。

もちろん紅葉も満開というわけではなかったが、それでもまだ里を中心に残っていたし、むしろ敷き詰められた散り紅葉がベストな状態で、十分に楽しむことができた。

 

3日間の記録を全3回に分けてお送りする。

まずは1日目。

 

 

1.京都御苑

まず1日目は、10:30頃に京都駅に着き、ホテルに荷物を送ったうえで、地下鉄で丸太町へ。

そこからまずは京都御苑を散策することにした。(左右ボタンで計8枚の写真)

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元は天皇の住む御所の周辺を指す京都御苑。

かつて公家屋敷が立ち並んでいたが、明治に入り天皇が東京に移ったのに従い、公家たちもすべてこの地から立ち去ってしまった。

その後、荒廃するこの地域を憂慮した岩倉具視らが中心となって、公園として整備されていったのが始まりだという。

御苑内には御所や公家の邸宅跡のほか、テニスコートなども用意され、連日賑わっているという。

 

 

御苑内には宗像神社や厳島神社などのいくつかの鎮守社が並び、とくに上記画像の3枚目の厳島神社は紅葉との組み合わせがとても映える美しい庭園だった。

園内の銀杏や紅葉はいずれもほぼ散りかけてはいるものの、それでもまだ十分に残っていて、また絨毯のように敷き詰められた散り紅葉が良い味を出している。

満開ならばそれはそれで美しかっただろうが、その時期はきっと芋を洗うほどに雑踏でごった返していただろうし、ちょうど良い時期だったんだと思う。

 

 

2.昼食:京やさい和らーめん「いたや」

京都御苑を1時間ほど散策し、乾御門を出て烏丸今出川バス停から本日のメイン目的地「銀閣寺」へと向かう。

203系統のバスに乗って「銀閣寺道」へ。そこから(もはや散り切ってしまい見る影もなくなった)哲学の道を練り歩いてひたすら東へ。

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時計の針も12時を指し、そろそろ昼食を・・・と思っていたところ、

 

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突如現れた、謎のラーメン屋。

「京やさい和らーめん  いたや」と名乗るその店は、野菜と貝で出汁をとり塩醤油で味付けしたあっさりスープを特徴とする。

京やさい和らーめん いたや - 元田中/ラーメン [食べログ]

 

そして最大の個性は、その店名にあるように、旬の京野菜をトッピングできるという点。

そのとき出せる京やさいをすべてトッピングした「京都旬やさい和らーめん」に揚げじゃこ菜飯を加えたセットを注文。(上記画像2枚目)

つけ麺(上記画像3枚目)も選べるが、スープもとにかく美味しいので、個人的にはラーメンの方がおススメだ。

 

野菜はこの日は聖護院かぶの煮たものに、れんこん、水菜、人参の酢の物、そして九条ねぎなどが並ぶ。

とくにかぶがほろほろになるまで柔らかく煮込まれており、九条ねぎもさすがの美味しさ。

スープもスープで最後まで飲みきれるほどのあっさりさを持ち、最後にレンゲですくうとしじみが浮かんできており、これもまた味が残っていて美味しいのでたまらない。

 

まったく予期していなかったお店であったが、かなりの満足度の高いランチとなり、京都旅行の幸先の良さを感じた。

 

 

なお、この店は2019年2月開店ということで、まだ1年も経っていない。

それでいてGoogleの口コミでは33件の口コミがついていていずれも高評価。

それもそのはず、といった味わいであった。紅葉シーズンのピークを過ぎ、平日だったこともあるかもしれないが、それでもお昼時真っ最中にも関わらずまったく人がいないレベルだったのも幸運。

まだまだ穴場かもしれない。今回の旅行でもベストオススメスポットの1つである。

 

 

3.銀閣寺(慈照寺)

素晴らしい昼食に巡り会えたことの幸せさを噛み締めながら、いよいよこの日の最大の目的である銀閣寺に。 

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言わずもがなではあるが、この銀閣寺というのは通称で、正式には慈照寺という。なお、銀閣「寺」というのは寺院全体を指す名称で、かの有名な木造2階建の楼閣建築は観音殿であり、これ単体では「銀閣」と称するのが正確である。中学生のテストでは、寺とつけるとバツがつく可能性すらある。

 

その東山文化を代表する書院造の美しさもさることながら、その周辺に用意された足利義政の美意識の結晶たる庭園も美しい(と、言いつつ、この庭園が今の形になったのは江戸時代も後期だとか?)。

 

寺院群をぐるりと囲む小径、高台、竹林などを巡りつつ、京都の実に京都らしい風景の醍醐味を感じ入る。

が、このあと、訪れた事前情報のまったくなかった寺院こそ、この日最大の感動を得られる場所であった。

 

 

4.圓光寺

自分の旅行好きは別に元より自分自身の中にあったものではなく、また旅行といっても自ら計画を立てることは稀である。

そのほとんどを妻に任せており、それは申し訳ないと思いつつ、彼女の旅先選びはかなり成功率が高いので、いつも助かっている。

 

今回もそうだ。自分なんかはろくに調べもせずミーハーに「銀閣寺とかいいよね。見てみたいよね」という気分で銀閣を最初に選んだが、そのあと妻が選んだのがこの圓光寺であった。

 

圓光寺?何それ?知らん・・・という自分なんかは不安を抱いたものの、ここはこの時期の「散り紅葉」においては非常に評判の高い寺院であったようだ。

それがこれである。

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絨毯のように敷き詰められた散り紅葉。

それ以外にも、至る所に「終わりゆく秋」となおも生命力を宿す鮮やかな落葉たちに出会い、歴史の重みとはまた違った自然の叡智を感じ取った。

 

自然以外にもこの寺院には見所がある。

入り口付近の枯山水庭園「奔龍庭(上記2枚目)」や、日本画家・渡辺章雄の手による「琳派」を意識した襖絵(上記4枚目)も眼を瞠る美しさで、ぜひ生で見てもらいたい。

そして高台には、徳川家康の墓(上記6枚目)が・・・元々この寺は、徳川家康が開いた学問所が原型となっている。そのことを踏まえての遺構であろう。

 

 

歴史とは、必ずしも古ければ良いわけではない。

自然だけがすべて良いわけではない。

 

そんなことを感じさせながら、京都の知らなかった魅力を存分に堪能させてくれた、個人的な「穴場」であった。

 

とにかく散り紅葉が美しかったので、この時期に来ることを強くお勧めする。

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5.夕食:嵐山「らんざん」

さて、圓光寺を巡り終わって、時間は15時を過ぎたところ。

そろそろ頃合いも良くなってきたところで、足の疲れも感じ、旅館に向かうことにした。

 

こちらも妻が選んでくれた旅館は、嵐山の渡月橋のすぐ傍にある旅館「らんざん」。

銀閣・圓光寺のある東山エリアからは見事に正反対の位置。バスを乗り継いで、1時間近くかけて嵐山に到着した。

 

嵐山駅前はいかにも観光地といった賑わいを見せており、とくに渡月橋周辺は人力車の呼び込みも華やかな一大観光スポットとなっていた。

 

そんな雑踏をいそいそと掻き分けながら、目的地の旅館に辿り着く。

夕食は18時に設定し、しばらく部屋で休んだあと、いよいよ食堂に向かう。

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前菜(上記2枚目)がいきなり美しい。

そのどれもが、完成された美味を誇っていた。

右上は鰆の幽庵焼き、その下に柿麩と焼栗。柿麩?  初めて聞いたが、その食感はとても柔らかく、中には確かにクリーム状になった柿が入っていた。

左の箱の中には秋刀魚小袖寿司に蓮根チップ、鴨ロース、赤蒟蒻、そして薩摩芋クリームチーズ和え。

・・・今回の夕食二日分の中でも、このときの前菜が最もその「完成度」が高かった気がする。

この瞬間、この旅館に惚れ込んだ。実は温泉でなかったり、旅館自体の質はこれまで経験したものと比べ最上位にいるわけではないが、しかし宿泊地における食というのは非常に重要だ。

この旅館は記憶に残すだけの価値がある。それをまずこの最初の前菜で確信することができた。

 

続いてお造り(3枚目)は間八に鯛、京都らしい黒胡麻麩。

とくに変哲もないお造りだったが、山の中にも関わらず、脂も乗って実に申し分のない味だった。

 

メインディッシュのおろし鶏鍋(4枚目)に口直しの蕎麦米饅頭(5枚目)を挟んで鰊煮(6枚目)が最後に登場。

 

鶏鍋は葱と丹波しめじがいちいち美味しく、煮物では主役の鰊もさることながら、秋茄子が味も沁みていて絶品であった。

もちろん京都らしい巻湯葉も満足のいく代物。このあと来た御飯についていた漬物もこれまで食べた漬物の中で一番と思えるような味わいで、漬物が好きでなくいつも残している妻も、絶賛しながら完食するほどであった。

 

とにかく野菜だとか漬物だとか魚だとか、素朴なもののクオリティが高い京都料理。

変なものを選んでしまうと味気なく寂しい体験もしてしまいがちかもしれないが、今回のこの旅館は大成功と言って差し支えのないものであった。

 

なお、本日のお酒は、地ビールと純米大吟醸の地酒、それから地元の梅酒をロックで頂いた。

 

酒の味が分かるわけではないが、旅行した際にその土地の酒は必ず飲んで帰る。それが酒の味が分からない者にとって、最も贅沢な酒の楽しみ方だと思っているから。

そんな中、思いもかけぬ出会いをするものである。私にとってそれは、山口の獺祭であり、青森の田酒であり、石川の加賀梅酒であった。

今回の京都の酒は十分に美味しかったが、その意味で今後も強く記憶に留めたいと思うほどではなかったかもしれない・・・。

 

 

何はともあれ、十分に満足のいく夕食を終え、このあとは風呂に入り早めの就寝。

翌日は天龍寺や亀岡〜嵐山の保津川下り、トロッコ列車などをメーンイベントとしていく。

 

北陸旅行記(能登半島1周含む) 2日目「能登島・和倉温泉」

1日目に続き、2日目の旅行の記録をメモしていく。

 

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2日目「能登島・和倉温泉」

五箇山の国民宿舎を出発し、五箇山インターチェンジから北上。

高岡を経由して石川県の七尾市へと向かう。

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五箇山荘の朝食所の窓から。今日も寒そうな気配が漂う。

 

目的地となる和倉温泉の辺りには、七尾市内のインターチェンジで下りたほうが近いようだったが、氷見北インター辺りで下りて、富山湾岸をドライブすることに。

なお、このあたりの高速はどうやら無料のようで? 別に早めに下りたからといってその分高速代が浮くというわけではない。

 

七尾市に入ったあたりでちょうどお腹も空いてきたので、「道の駅 能登食祭市場」に。

やはり北陸といったら海鮮。

1日目も海鮮丼を食べてはいるが、そのときはインターチェンジのフードコートの800円もの。

今日は奮発して、4000円近くする上海鮮丼と、3000円近くする握りとを頼んだ。

ウニも入った本格海鮮丼。期待通りの美味しさだった。

 

その他、浜焼きをやっていたり、安価なものでもイカ焼きなどを単品をいくつか注文できたりと、市場ならではの豪快な食が手軽に楽しめる良いスポットだった。

 

 

さて、すでに本日の目的地・和倉温泉は目の前。

しかし旅館に入るにはまだ早かったため、すぐ近くにある「能登島」に向かうことに。

 

この能登島にはジンベイザメなどを見られる水族館があり人気だが、明らかにそこ目当ての車も多く混雑していそうだったので、我々はそちらにはいかず。

 

代わりにだれも観光客は行かないような「能登島一周」を敢行した。

 

 

能登島は「海に面した水田」や、「山々に囲まれた狭い土地に並ぶ水田」といった個人的な好みに合致した風景が堪能できる最高の環境だった。

遠くには雲の隙間に隠れた日本アルプスも遠景で見え、思わず車を止めて見入ってしまったほどだ。 

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能登島1周は大体60kmくらい?

自転車で一周している人も多いようで、おススメしたいコースである。

本土と島とを結ぶ二つの橋「能登島大橋」と「ツインブリッジ」もいずれも乗りごたえのある橋だった。

 

 

さて、能登島観光を終えたあとは、いよいよ本日のお宿へ。

和倉温泉は「加賀屋」で有名な温泉地だが、さすがにそこに泊まるほどのお金はないため、その近くにある「渡月庵」へ。

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大正4年創業のお宿ということで、非常に風情たっぷり、それでいて要所要所はしっかりと近代風に改築されており旅館としても十分なクオリティを保っている良い宿だった。

 

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部屋の中や廊下も風情たっぷり。

 

 

旅館に荷物を置いたあとは、周辺の探索に。

大正天皇が皇太子時代に北陸を行啓した際に建てられた休憩所なども残っており、平成最後の日に時代を感じさせる体験を重ねることができた。

 

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こんな気が早い居酒屋も。

 

 

一通り周辺の探索が終わった後、「能登ミルク」を使ったというジェラート屋さんに。

大行列ができているうえに慣れていないのか店員の客さばきが悪く随分と時間がかかったが、手に入れたジェラートと牛乳、飲むヨーグルトはいずれも美味で、もし和倉温泉に来ることがあったならば、ぜひ試してみてもらいたい。

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なんか牛乳のキャラクターがかわいい。

 

 

 

探索を終えて再び宿に戻り、夕食に。

この日は北陸の特産品の1つである「のどぐろ」のしゃぶしゃぶと煮つけを用意してもらった。

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鯛に似てるようでいて、鯛よりもジューシーなのどぐろ。
頭のあたりを割ってみると本当にのどが黒い!と妻がはしゃぐなど。

セットでついてきた麩や豆腐もしっかりと味が染みていて美味しく、全体的に丁寧な作りだった。

 

 

夜はTVで平成の大晦日を騒ぎ立てる番組を見ながら、スマートフォンで木下さんのカウントダウンを耳にしながら、新しい時代を迎える。

 

翌日はいよいよ、能登半島の先っぽ、珠洲岬へと赴く。

 

 

北陸旅行記(能登半島1周含む) 1日目「世界遺産 菅沼・相倉 合掌造り集落」

2019年のGW(10連休)を利用して、兼ねてより行きたかった北陸を旅行してきた。

4/29(月)~5/5(土)の5泊6日。

今回はこの旅行の記録をメモしていく。

 

 

1日目「菅沼・相倉 合掌造り集落」

1日目の目的地は世界遺産にも指定されている「菅沼・相倉 合掌造り集落」に。

合掌造り集落としては白川郷がより有名だとは思うが、事前情報で物凄く混んでいるという話と、行ったことのある人の話で、白川郷よりもこの相倉の方が良いという話も聞いていたのでこちらに。

 

実家のある新潟を出発したあと、途中「有磯海(ありそうみ)」サービスエリアにて昼食。

イートインスペースで食べられる800円の海鮮丼と750円の富山ブラックラーメンを食べる。富山ブラック、初めて食べたけど美味しい。年を取るとこういう、醤油の強いラーメンを美味しく感じる。

 

そのまま高速で「五箇山」インターへ。

菅沼・相倉のあたりを「五箇山」と呼び五箇山の合掌造り集落とも呼ばれるが、インター直結なのが嬉しい。

インター出口からそのまま真っ直ぐいくと菅沼集落の駐車場に。実は別ルートからはより集落に近い駐車場に行けたらしいが、混雑しているのと有料なので、少し遠いこちらの駐車場で良かった。

 

菅沼の全景はこんな感じ。

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地上から撮った姿。

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旅の最初の3日間は曇り空が広がる天気だったのが残念だったが、それでものどかで、美しい風景を堪能することができた。

人が比較的少なかったのも良し。この地域でずっと行われてきた硝石作りの資料も展示されていて興味深かった。

 

 

そして、菅沼から車で15分。庄川沿いに下ったところに位置するのが「相倉(あいのくら)」集落。

どちらもこじんまりとした集落だが、こちらの相倉の方が実際に人が住んでいたり見所は多い印象があった。

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山中ということもあり、桜もまだかろうじて残っていた。

 

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集落内の建物は民宿にもなっており、実際に泊まることも可能。

 

入口に駐車場があって1台500円。

また駐車場の脇の道から高台に登れば、よく紹介されているのと同じアングルで写真が撮れる。絶景ポイントだ。

 

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奥に見えるのはまだまだ雪深い「人形山」。もう少し夏が近づくと、残雪が人の形をしてくることからこう名付けられたらしい。その由来にまつわる悲しい昔話も。

 

 

この日の宿は同じ五箇山集落内の国民宿舎「五箇山荘」に。

夕食後には車を出してくれて、ライトアップされた相倉集落を見に行けるというイベントも。

ライトアップはいつもやっているわけではなく、今回はGWということでタイミングよく見ることができた。

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また、この五箇山荘の食事も非常に美味しかった。

写真は撮り忘れていたが、とにかく山菜が美味しく、また山女の塩焼きもこれまでにないくらい美味だった。柔らかく、身もぎっしりと詰まっていて、食べやすく満足度の高い一品だった。

さりげなく出てくるお造りもさすが富山。クオリティが高く、山のもの・海のもの・川のものすべてが高品質だった。

今回の旅で最もおいしい食事だったかもしれない。

 

全体的には薄味だったので、そういうのが好きな人、とくに山菜が好きな人は、時期にもよるだろうけれどおススメの旅館である。

 

 

1日目はこんな感じ。

2日目はいよいよ能登半島に向かって行く。 

 

  

松永伸司『ビデオゲームの美学』(慶応義塾大学出版、2018) 読書会用 第八章レジュメ

ビデオゲームの美学

ビデオゲームの美学

 

 

読書会の第2回に向けて、第八章のレジュメを以下に記す。

 

第六章の冒頭で、次のように述べられている。 

ビデオゲームの意味作用の独特の特徴は、二種類の意味論が相互に関わる点にもっともはっきりとあらわれる。(p116)

 

第六章、第七章ではこの「二種類の意味論」すなわち、

について論じられた。

 

そしていよいよこの第八章では「二種類の意味論の相互作用」について語られることになる。

 

 

その「相互作用」の基本的な型として、以下の3つが挙げられている。

 

  1. 類比的推論
  2. 謎解き
  3. シミュレーション

 

いずれもゲームならではの意味作用のあり方であり、またビデオゲーム作品の評価の焦点にもしばしばなる。

 

 

 

1.類比的推論

虚構的内容を直接表す方法はほかの芸術形式と大きく異なるわけではない。たとえば〈F:マリオ〉を表したければマリオを表す絵を用意すれば良い。

 しかし「ゲーム的内容」――分かり易く言い換えるとそのゲームのルールや仕組み――を表す方法については、ビデオゲーム独自の議論を必要とする。

 

ゲーム的内容を表す方法については以下の3つが考えられる。

 

  1. 記号とゲーム的内容の関係が明文化されているケース(例:説明書)
  2. 作品が属するジャンルの慣習についての知識がゲームメカニクスの理解に寄与するケース(例:「武器」「HP」)
  3. 純粋に虚構的内容だけからゲーム的内容を引き出しているケース

 

3のケースが「類比的推論」が行われているケースである。

 

 

ディスプレイ上に表象された記号《階段》を見たとき、それが〈F:階段〉であるとプレイヤーは認識し、かつそれが〈F:移動手段〉であることを想像する。

そしてそこから《階段》は〈G:移動手段〉であることを推測する

この、ゲームプレイヤーが当たり前のように行っている一連の流れを「類比的推論」と呼ぶ。

 

慣れてくれば、《階段》を見た瞬間にそれを〈G:移動手段〉であると認識するようにもなるだろう。

 

 

 

2.謎解き

類比的推論はゲーム行為をするために虚構的内容を通してゲームメカニクスのあり方を把握することだが、

虚構的内容を通してゲームメカニクスのあり方を把握しようとすることそれ自体がゲーム行為になる場合がある。

それが「謎解き」である。

 

 

ディスプレイ上に表象された「鍵のかかった鉄格子がある」というテキストを見て、プレイヤーは〈F:鍵のかかった鉄格子は鍵によって開く〉という虚構的内容を想像する。

そこからプレイヤーは〈G:鍵〉があること、それを使えば〈G:鉄格子〉を開けることができること、を類比的推論する。

謎解きゲームは、このプロセスそれ自体がゲーム行為となる。

 

 

 

3.シミュレーション

ただ単に画像やテキストによって虚構世界を表象するのではなく、動的なモデルによってそれを表象するもの。

 

  • 例:SimCityは、ただ都市の画像が置かれているわけではない。プレイヤーは交通や電力などのインフラを整備し、治安や公害に配慮していくといったゲームメカニクスとの相互作用によって、この虚構世界のあり方を理解していく。 

 → RPGも、FPSも、謎解きゲームも、すべてゲームメカニクスとの相互作用で虚構世界をシミュレートする側面があり、シミュレーションであると言うこともできる*1

 

 

シミュレーションの特徴

  • 類比的推論とシミュレーションはしばしば同時に成立する。

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  • 類比的推論を伴わない場合でも、大半のビデオゲームシミュレーションは、ゲームメカニクスによって虚構世界をシミュレートすると同時に、ディスプレイ上の記号によって直接的に(たとえば言語や画像として)虚構的内容を表す。つまりそれらは、シミュレーションではない仕方でも虚構世界を表象する。

→ よく意味が取れないがこういうことだろうか。

 

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  • 「重ね合わせ」「類比的推論」が行えない場合でも、ディスプレイ上の要素がシミュレーションとして機能する

→ こういうことだろうか。(Spacewar!の例)

 

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  • シミュレーションは、ゲームメカニクスの本性上、複数回の不特定の試行を可能にする。この特徴のおかげで、シミュレーションは、特定の個別的な出来事よりもむしろ、一般的な法則それ自体を内容として描くのに適している

→ さらりと書かれているが、この部分こそが、実はこの章で最も伝えたかったことなのではないか、とも思った。

その具体例が、『September 12th:A Toy World』である。

 

このように、シミュレーションは、それ特有の表現能力を持つ。そして、それはもちろんビデオゲームが持つナラデハ特徴の一つとして数えるべきものである。(p227)

 



Fez』の例はいまいちその重要性が理解できず。

 

 

 

追記

下記、作者様よりコメントを頂いたので、それを踏まえて追記・整理します。

一点「シミュレートと直接的に表す2つの方法を同時に行う場合」の箇所は、書き手の意図とちがうかなというところがあるのでコメントします。意図としては、同じひとつの記号が、①それ自体として虚構世界を表す、②ゲームメカニクスを表し、またそれを通して虚構世界を表す(=シミュレートする)、という2つの機能を同時に持っているというケースの話です。

図としては、右上の四角はなく、左上の四角から右下の四角に向かって矢印が出るかたちになると思います。この矢印は、シミュレーションではない表象(通常の虚構的表象)です。ようするに、重ね合わせ状態にあり、かつシミュレーションが成立している、というケースです。

本の中では論じていませんが、細かいことをいうと、この直接的な虚構的表象による虚構的内容と、シミュレーションによる虚構的内容は、くいちがう場合がありえます(なので正確には右下の四角=虚構的内容は二つあるべきです)。つまり、直接的な虚構的内容としてはXなんだけど、それと記号を共有するゲーム的内容を通してシミュレートされた虚構的内容としてはXではないみたいなケースです。

これを図示すると次のような形に?

 

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1つの記号が、「直接的に(本書p224)」虚構的内容を表象し(=重ね合わせ)、同時にゲームメカニクスを通じてシミュレートという形で虚構的内容を表象するということ。

多くの場合?でその表象された虚構的内容は同じように見えるが、そこが食い違う場合もあり、厳密には重ね合わせ・シミュレートそれぞれで表象される虚構的内容は別物である。

 

コメントにもある「見えない壁」の例でまとめると次のような形に。

 

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ただ、ちょっと気になるのは、ここで「食い違い」が発生しているのは、〈F:ただの床〉と〈F:見えない壁がある〉ではなく、〈F:ただの床〉から類比的推論された〈F:ただの床なのでそこは通れる(=壁はない)〉との間であるようにも思える。

 

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で、「食い違い」が発生しない場合ってのは、単純に「類比的推論とシミュレートが同時に発生している」という最初に挙げたパターンとほぼ変わらないということでいいのだろうか。

 

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もうすぐ読書会始まるので、とりあえずここまでで。

 

 

また、ツイッターの方で以下のコメントも来ていました。

こっちはまたあとでちゃんと確認して検討してみます。

*1:RPGに関しては、通常のゲームプレイにおいてそれほど「個人の成長や世界の探索」がシミュレートされているようには思えない。むしろ、RPGのゲームメカニクスにおいて要請される現実世界との差異がシミュレートされていった結果構成された独特の虚構世界が、日本の和製ファンタジー作品やいわゆる「なろう」小説などの想像力の源泉として機能しているようにも思える。――こういった、ゲームを題材にした別の芸術形式を批評する際にも、本書で提示された「二つの意味論を区別する理論的枠組み」は活用できると言えるだろう。

松永伸司『ビデオゲームの美学』(慶応義塾大学出版、2018)全体の感想

ビデオゲームの美学

ビデオゲームの美学

 

 

こちらでは全体の感想をざっくりと。

 

本書の目的

ビデオゲームの「ナラデハ特徴」をはっきりとさせること。

ビデオゲームを哲学的・批評的に扱ううえでの基礎づけを目指す?

(序章参照)

 

じゃあビデオゲームの他にない特徴って何?

第五章でまさに論じられている「二つの意味論」の存在。

ディスプレイ上の記号から「虚構世界」と「ゲームメカニクス」という2つの量化のドメインを自然と区別して受容している、というのがビデオゲーム「ならでは」の受容の仕方である。

(第二章、第五章参照) 

 

そこから導き出されるビデオゲーム特有の体験

ある記号が表象する虚構的内容からゲーム的内容を類比的推論させる
  • 第八章の「階段」の例。
  • たとえばポケモンの相性表はメチャクチャで本来であれば覚えることなど不可能に近いという話題が最近あった気がするけれど、あれはまさに虚構的内容(「くさ」とか「ほのお」とか「みず」とか)によってゲーム的内容を学習させる代表的な例と言える。
  • ユールの言っていた「フィクションがルールの理解をうながす」とはこういうことか。 

 

→ これはゲーム的行為をドライブするための仕組み。もちろんここに仕掛けを組み込むことで、ゲームならではの叙述トリックを生み出すことができる。

 

あるゲームメカニクスが虚構的内容をシミュレートする
  • 第八章の「原子力発電所」の例。
  • ユールの言っていた「ルールが虚構世界を想像することをうながす/ルールが虚構世界を実装する」とはこちらのことか。
  • ただし、ゲームメカニクスが独特で面白いのは、それが「ある種の手ごたえのあるフィクション」を生み出すからである。(第十二章 p295)
  • その秘密はプレイヤーの行為を介在させていることにある。(第六章 p142)
  • さらに言えば、「プレイヤーの行為の自由」を基盤に置いているからである。(第十二章 p297)

 

第八章で例として挙げられた『September 12th:A toy World』(テロリスト爆撃のゲーム)が魅力的なのは、まさにその「行為の自由」を基盤に置いているからである。

このゲームは〈任意の場所にミサイルを撃てるにもかかわらず、つねに同じ結果になる〉(p227)という仕組みを持つ。

しかも、単純に「こうすればこうする」という形で「常に同じ結果」なのではない。

ゲームクリアを目指して様々なところにミサイルを撃ち込み、それぞれ違った反応がディスプレイ上に展開されるものの、結果として訪れるものは同じようなものである。その抗えなさは、プレイヤーに行為させたからこそ感じさせることができる。

これが、ビデオゲーム特有の体験なのである。

 

『September 12th:A toy World』は実験的なゲームである。

しかし、もちろん一般的なゲームクリアを目指すゲームでも、同じような体験を得ることができる。

たとえば、個人的な趣味で選ばせてもらえば、『Europe Universalis Ⅳ』にかつて存在した「西洋化(Westerlization)」というシステムを思い浮かべることができる。

 

このゲームは15世紀半ば~19世紀初頭の全世界の国を選んでプレイできる歴史シミュレーションゲームだが、ゲームスタート時には、西欧国(フランスやイタリア)と非西欧国(中国やインド)との間には先進技術獲得のための必要コストに大きな差が存在する。

ところがゲーム後半、非西欧国が西欧国に隣接することで実行可能となる「西洋化」コマンドにを使用すると、国内の大きな混乱と引き換えにこの先進技術獲得コストの差を一気に埋めることができるのである。

いわば、明治維新や洋務運動、アタテュルクの革命のようなものをシミュレートしたシステムなわけだが、このシステムを前にしてプレイヤーは、ゲームメカニクスの要請に従って、否応なく西洋化に邁進せざるを得ない現実の歴史をシミュレートすることになる。

もちろん、西洋化を選ばないこともできる。しかし、それを選択すれば、先進技術獲得が遅れるという困難に襲われる。

この「選択の自由」を前提とすることで初めて、現実に存在する「抗えないもの」へと直面させられる、という事態は、ビデオゲーム特有の体験である*1

 

 

その他、面白そうな要素

  • ゲーム行為を「独特の繊細な能力を必要とするものであり、また概念的に答えが出るものではないが、それでいて、人に説明されたり自分で試行を繰り返すうちになんとなくできるようになる行為」(p183)と定義している部分(第七章、美的行為の節)
  • ゲーム行為は現実のものであるということ(第十一章、p281~)

 

→ ゲーム行為についてはもっと読み込んでその独特さを理解していきたい。

 

また、「ゲーム的リアリズム」については第十章 p261~ で触れているが、Ever17とかは虚構的内容からゲームメカニクスを類比推論させる際の「仕掛け」に関する叙述トリックと関わってきそうなので、その部分についてももう少し考察したい(FGOミステリーイベント等も)。

 

ゲーマーのジレンマはあまり問題でないようにも感じるけれど、日本語で検索しても言及しているウェブページが見つからないため、あまり議論に深入りできなさそうのが残念。

 

 

 

我々はつい目の前に見える風景を分割不可能な一枚岩のように見てしまうことが多くある。

哲学/批評の仕事は、そこに(それが真に実在するかどうかはともかく)「仕切り」を加えることだと思っている。

 

本書はゲーム行為において一枚岩に見えていた風景に二つの意味論という仕切りを加えてくれた本だった。

そのことによって、これまでは(見えていながら)見ていなかった数多くの風景が目の前に広がっていく。

この本もまた、そんな体験をさせてくれる本なのは間違いないだろう。

*1:なお、この「西洋化」システムは、現在はより西洋中心的ではないシステムへと差し替えられてしまった。個人的には少し残念な思いである。